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ミーコワールド

ミーコワールド

立っていなさい

 

  [立つていなさい]

祖母はどこへ行くにもいつでも私を連れて行った。

私は荷物持ちの役目だった。 

何が入っているのか知らないが風呂敷つつみを持つのです。 

祖母は祖母で風呂敷つつみと巾着袋を下げて出かけた。 

とても小さい人だった。 60歳半ば過ぎだったと思う。 

私は小学低学年の頃だったように思う。

祖母は「ひで」という名前で「おヒデさん」「おヒデさん」と呼ばれていた。 

私が今でもよく思い出すのは、吉野の駐在所にいる叔父の所へ行った思い出だ。

電車に乗った記憶や帰る時の事がシッカリ記憶にある。 

日帰りだったのか、それとも一泊くらいしたのかそんな事も定かでないのに、

とぎれとぎれに場面が鮮明に蘇る。

祖母は叔父、つまり祖母の次男であり、父の弟の所へ行く時は

何を持って行ったのだろうか。 

きっと自分で作ったものを息子に持って行ったろう。 

私はついに風呂敷つつみの中を知らされないまま

祖母と永遠の別れをしてしまってから42年が過ぎた。 

叔父の所へ行く道中が非常に印象に残っている。 

駅で電車の時刻を確かめるのは私の役目だった。 

「何分の発車かお前の良い目で見ておいで」と言うのです。 

そして電車に乗っても自分は座るのに私は座らせてくれない。 

「お前は子供で元気だから立っていなさい。 

座りたい人が来た時お前が座っていたら遠慮して座れないから」と言う時もあれば

「子供は半額の運賃で乗せて貰うのだから、遠慮して立っていなさい」と言う時もあった。 

私は子供でも大人運賃を払ったら座れるものだとばかり思っていた。 

何か分からない事を駅員さんに聞く時も私に行かせた。 

自分が尋ねた時は必ず私にも「有り難うございました」と言わせた。 

尋ねたのは祖母でも二人の事だからという訳だ。 

私は疑問に思う事もなく大きくなった。 

吉野では叔父の家(駐在所)の前でバスは停まった。 

降りる時は必ず「ありがとう」と運転手さんに言って降りた。 

その事に尽いて何も思わなかったのだが帰る時、

叔父が家の前で、近づいて来るバスに向かって手を振るとバスは家の前で停まった。 

私はそれが友達に対してとても自慢の種だった。 

「私の叔父さんはとても偉い人なんや。

バスを自分の家の前で手を上げて停めるんやで」と言って自慢したものだ。 

今思えば吉野の山奥だったので、今でいう自由乗降バスだった。 

でも当時はそんな事は知らないものだから自慢していた。 

今思うととても恥ずかしい事だが・・・。 

しかし当時、祖母も父もその事に対して私を咎める事はなかった。 

私は叔父をとても尊敬したものだった。 

周りの大人もそんな私に対して誰も注意をする人はいなかった。 

私が叔父を自慢する気持ちを尊重してくれたのではなく

祖母の息子を思う気持ちの方を大切にしてくれたのだろう。 

そんな時代だった。 

私は祖母と共に出掛ける事で公共のマナーをたくさん身に付けた。 

今でも真っ白な癖毛を頭の上で髷にしてサンゴの玉かんざしをつけて、

着物に下駄を履いた小さな祖母が目に浮かんでくる。 

歯の抜けた皺だらけの顔で私に笑いかけてくる。 

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